適応障害なわたしのボロボロ育児日記

若い頃から色々な病気やらなんやらと付き合いつつ、ここまで生きてきましたが出産を機にまた精神病んでしまった、わたしの吐き出しブログ

はじめに

なんで、ブログ書こうと思ったかと言うと

母には日記に思いを吐き出して書き殴ればいいと言われたんだけど

誰にも見られないからこそ

なんでも書ける代わりに、じゃぁ、書いたからなんだ?みたいな、、、

誰かに見てほしい、聞いてほしい、知ってほしい、その為に書くなら書けそう。

 

そう思ったのがキッカケです。

承認欲求すごい強いです。

誰かに認めてもらえないと生きてる価値ないって思う。

自己肯定感もめっちゃ低いです。

だから認めて貰えたとしても

いやいや、、、とか嬉しいくせに言います。

天邪鬼です。

自分のやる事なす事が本当にクソだと思ってます。うまくいっても今だけだよとか思います。

だからこそ、内へ内へと入り込む

めっちゃネガティブな感情を吐き出したくて書いてます。

 

あとは、自分が産後うつ(まだ診断下されたわけじゃないので自分で思ってるだけ)

かもって思ってブログとか同じ思いの人とか検索して読んで自分も書きたいと思ったから。

 

わたしのこれまでのざっくりは

小学校の頃からあまり学校に行けず

中学校は不登校(市の適応教室に1年ほど通う)

高校もせっかくの通学型通信制の高校を最後の数ヶ月しか行かない(レポート出したから卒業は出来た)

そのあとは専門学校進学するも

摂食障害(拒食)発症し入院して辞める。

退院後はセオリー通り過食嘔吐に移行し

元々入院した時から摂食障害より

適応障害や不安障害が色濃いと言われていた為か、なんだか、アルバイトなども1日で辞めた数など10をゆうに越える。

それでも、障害者雇用のアルバイトや

こんなわたしでも、出来るアルバイトを見つけて過食嘔吐しながら心療内科行きながら

日々過ごし、、、。

主人と出会い、過食嘔吐を1日3回はしてたのが全くしなくなり、薬は飲みつつも

平穏にしばらく過ごし結婚し

主人の親戚達が周りを囲んでいる所に引っ越し、実家が遠い事で不安定になりながらも

主人のおかげで人生生きてて

1番幸せな日々を過ごし、、、。

1回目の妊娠で稽留流産になり

その時に7錠ほど飲んでいた抗不安薬やらを一切やめて、2回目の妊娠、、

その子は無事に成長し、4300gと大きかった為、苦しんだ後帝王切開にて出産し

入院中の母子完全同室で心身をやられながら

病院や母や主人のおかげで何とか退院し

1ヶ月里帰り、そして、家に戻ってきたが

やはりまた、精神的に不安定になり、、←イマココ

 

そんな感じです。

その時々で色々なことはあったけど

ざっくりの略歴はこんな感じ。

ふー、書いた書いた。

今は隣でムスメちゃんがすやすやしてるから書けるけど

この後書いていけるか分からないし

書きなぐりだろうし

完全なる自己満、支離滅裂、色々あると思いますが、誰か、、見てくれて、、

共感してくれたりしたら、、嬉しいなって思いながら書いて行こうと思います。

つまるところ、わたしは

とんでもない親不孝のとんでもない欠陥人間ってゆー話。

 

とりあえずはじめにはここまでにしとくか。